もの申せる人もイエスマンになってしまうと言うのが真実です。
おはようございます、パワー店長養成講座の小宮秀一です。
ゴーン会長の失脚でもそうですが、カリスマが失脚するときに必ず言われるのがコレ。
「周りをイエスマンばかりにしてしまう」
カリスマは反論を許さない→周りをイエスマンばかりで固める→イエスマンは苦言を呈さない→本当のことがわからなくなる→失脚する、と言う論法です。
しかし、コレ前提が間違っています。カリスマは反論を許さないのではありません。反論を結果で押さえ込んでしまうのです。だから、苦言を呈そうとしていた人も、やがて何も言えなくなってしまうのです。「間違っているのは自分の方かもしれない」と。
2人のカリスマ経営者
私がいた2つの会社は、創業者が社長を務めていました。実績を上げている経営者はカリスマになりがちです。ましてやそこに創業者の看板が加わるとさらにカリスマ性が増します。
私が入社した頃、最初の会社の社長は、既に従業員5万人の企業グループを築き上げてきました。この会社の幹部は全員イエスマンでした。
この社長はバブルに踊りました。サルバドール・ダリの宝飾品を買い占めたり、ドイツの城を買ったり、巨大な仏像を建てたり、果ては宗教法人を買おうとして写真週刊誌に叩かれました。
そして、それはバブル崩壊とともに終焉を迎えました。残ったのは莫大な借金です。
それで傷ついたのは私たちの店でした。社長はいくつもの企業を経営していましたが、メディア向けには秋葉原の電気屋の社長であるとしていたからです。
そのため、リストラの最中だった私たちの店は余分な負担を強いられました。借金はこの会社の借金ではなかったのに、商品が発注した数入らなくなったのです。計画倒産を疑われたのです。
その時の経験から、私は「イエスマンばかりの組織はダメになる」という認識を強くしました。
しかし、大番頭と言われる部長を筆頭に、かつては社長に苦言を呈する人がたくさんいたようです。社長から「あれは反対されて…」という昔話をよく聞かされていましたし。
かつての幹部は全員残っているのに、どうして社長にもの申すことができなかったのでしょうか?
どうして社長にもの申せなかったのか?
私はそうなる理由を、次の会社で身を以て体験しました。
私が2つ目に勤めた会社の社長は商売の天才でした。幹部や社員が反対することを次々に成功させていくのです。
たとえば、私が最初に店長を務めた店は、社長以外の幹部全員が出店に反対しました。なぜなら「このSCは終わっている」からです。
しかし、社長は自分の方針を貫きました。その結果、この店は最初の月から当初計画の2倍の売上を上げ、大成功しました。
この社長はこれ以降も反対を押し切って多くの施策を成功させました。すると、「反対」を言っていた人たちの方が疑心暗鬼に捕らわれます。私もそうでした。「社長は天才。凡人には理解できないのかもしれない」。すると「反対する方がおかしい」と思うようになってしまいます。
かつて苦言を呈していた人たちも、イエスマンに変わってしまうか、自信をなくして会社を去ってしまうのです。
この社長、腰が低く、物腰の柔らかい人です。声を荒げることは滅多にありません。その分、起こったときは怖いのですが。それでも反対した人を排除するようなことはしませんでした。そんな社長でさえ、周りをイエスマンに変えてしまうのです。
「自分の反対することを成功させてしまう」。そんな人に苦言を呈するのは難しいことだと言えるのではないでしょうか。
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