今日、5月27日は坂井泉水さんの命日です。
坂井さんはZARDのボーカルとして1991年2月10日、♪Good-bye My Lonelinessでデビューしました。♪負けないで、♪揺れる想いなど、9作のミリオンヒットを記録。オリコンによると、90年代にもっとも売れた女性アーティストだそうです。
おはようございます、パワー店長養成講座の小宮秀一です。
私が、坂井さんの訃報を知ったのは、2007年5月28日、日本テレビの夕方のニュースでした。
当時はまだテレビを付けっぱなしにしながら仕事ができていました。最近は気が散って無理ですが。
キーボードを打つ私の耳に、男性アナウンサーの「ZARDの坂井泉水さんが亡くなりました」という声が飛び込んできました。
私は手を止めて、ニュースに注意を向けます。亡くなった経緯についてはあちこちに情報があるので省略します。
その頃私は既にファンではなかった
私がZARDをフォローしていたのは’99年のアルバム「永遠」までです。
このアルバム以降、私はZARDを聴かなくなりました。理由はよくわかりません。曲か、サウンドが私の琴線に触れなくなったと言うことなのでしょう。
その原因の一つがセルフプロデュースだと思います。坂井さんはこの前のアルバム「TODAY IS ANOTHER DAY」からプロデューサーとしてクレジットされています。しかし、自分の良さを、一番わからないのが自分だったりするわけで。セルフプロデュースになって、良くなったアーティストっていないと思うのです。あのポール・マッカートニーでさえプロデューサーを起用しているのに……。
私が悲しくなかった理由
そのため、亡くなったと聞いても、特に悲しくはありませんでした。と言うか、絶句しているファンを醒めた目で見ている私がいました。
それは、好きなアーティストが、私が好きでいる間に解散とか、亡くなるという経験をしたことがなかったからです。ビートルズを好きになったときには解散していたし……。
私が好きでいる間に解散したアーティストは2017年6月、ごく最近のことです。四半世紀生きてきて初めての経験でした。
解散コンサートでは年甲斐もなく号泣しました。解散でさえこんなに泣けるのだから、亡くなったとなると……泣いていたファンのことを今ならやさしく見守ることができます。
ZARDとの出会い
私がZARDを知ったのは、1991年の3月です。当時の私は作曲家でアーティストを選ぶという、マニアックなことをしていました。その時お気に入りだった作曲家の一人が織田哲郎です。このCDに付けられたPOPに彼の名前がありました。
ココは秋葉原。マニアのウォンツに答える街です。私と同じような買い方をするヤツがいたのでしょう。さすが、日本で一番レコードを売っていた、今は亡き石丸電気レコードセンター。
それで、ZARDというユニットについてまったく知識がないままCDを買い、プレイヤーに乗せました。
すると私のストライクゾーンのサウンドが!
美しいメロディーに、ディストーションが効いたギター、ヘビーなドラム、ソリッドなベースと言ったハードなリズム隊に、きらびやかなシンセが彩りを添えるという……。
米国のコマーシャルロックと言われるバンドのコンセプトに似た音作りがなされていました。
調べてみると、この音はビーイングという音楽制作集団が手がけたモノだと知りました。日本にもモータウンのような、レーベルの音を持つ企業がようやく生まれたのかと感慨深くなりました。
誰がレーベルの音を作っているのか?
となると、誰がレーベルの音を作っているのか、気になりますよね?
最初はアレンジャーかと思いました。音作りはアレンジャーの仕事ですからね。しかし、ZARDのアレンジを手がけているのは、明石昌夫、葉山たけし、池田大作と3人いることがわかりました。
違うアレンジャーが手がけているのにどうして似たような音作りができるのか?
リットーミュージックのサウンドアンドレコーティングマガジンを読んでいると、音楽制作には音作りの方向性を決める、音楽プロデューサーと言う人がいることがわかりました。
同誌によると、音楽プロデューサーとレコード会社のプロデューサーは別物だと言うことです。レコード会社のプロデューサーは管理職で、予算管理が主な仕事。音楽プロデューサーは映画監督のような仕事だとのこと。
つまり、ビーイングは音楽プロデューサーに率いられた日本初の音楽制作集団と言うことです。
ビーイングの社長にして、音楽プロデューサーが長戸大幸氏です。
彼はZARDの坂井泉水を売り出すに当たって、ナチュラルメイクとシンプルなファッション、そしてメディア露出を抑えるという戦略を採用しました。坂井さんは、長戸大幸氏がプロデューサーを降りた後も、このイメージ戦略は守り通したようです。
ZARDマイベスト
私のZARDマイベストのアルバムは「HOLD ME」です。
このアルバムは発売当時に100回以上聴いています。これ以外音楽を聴かなかった可能性があるくらいです。
好きになりすぎて、全曲分のスコアを作ろうとしたほどです。さすがにそれはできませんでしたが、メロディーとベースライン、コードは全曲分譜面に書き起こしました。
それで何をやろうとしたのかというと、自分はどうしてこのアルバムの曲が好きなのかを知りたくなったからです。そのためには、音を見える化する――譜面にするのがわかりやすいからです。
私がHOLD MEを好きな理由
譜面にしてわかったこと。
コード進行は、ちょっと聴いただけでは普通の循環コードにしか聞こえないのですが、循環コードをつなぐコードが凝っていました。
たとえば、♪揺れる想いのサビ5小節目、B♭/FonA-Gmと言うコード進行。FonAはB♭onAでもいいのに、敢えてサブドミナントのFを使うのが凝っています。と言うか、手癖でB♭onAで弾く人多いと思うのですが。
また、この頃の転調は、行ったきりではなく、ちゃんと元の調に戻っています。
転調は、行くのはカンタン、戻るのが大変なのです。ビートルズの♪YOU’RE GOING TO LOSE THAT GIRLの転調からの戻りは美しいです。どうやって戻るかが作曲家やアレンジャーの腕の見せ所と言えるでしょう。
小室哲哉以降、「転調しても戻らない」のが普通になってしまいました。コレが音楽の進歩と言えるのかは疑問です。
転調は行く瞬間は気持ちいいです。しかし、行きっぱなしでは飽きてしまいます。その点、HOLE MEの曲は転調が美しく元に戻っています。私は美しい転調が好きなのです。
ココには小室哲哉が壊してしまった音楽の様式美があります。それを堅苦しいと思うか、美しいと思うかは人それぞれでしょう。
しかし、知らないのでは評価のしようがありません。
この様式美をどう感じるか、感想をお寄せください。
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